2008年5月31日土曜日

「バイクで死ねれば本望か?」 by 小林ゆき

「でも、ライダーってみんな“バイクで死ねれば本望”なんちゃうの?」

そんな人はまずいないよ、と全力で否定しておいた。心理カウンセリングを職業としているのにそんなこと言うんだなあ、と、ちょっとびっくりしたからだ。

ライダーは皆、「自分だけはバイクで死なない」と思っているのではないか。
それとも、本望と思っているライダーが本当にいるのだろうか?

わたし自身はこのごろ、きょうバイクで死んだらいやだな、だから……と毎日必ず考えてバイクに乗ることにしている。好きなバイクで死ぬようなことがあったら自分が恥ずかしいし、必ず人に迷惑をかけると思うからだ。
もちろん、バイクで亡くなった方々をどうこう言っているわけではない。自分自身の考え方である。
そして、こう思いながらも生きている。

「今日、バイクで死ぬかもしれないし、別の理由で死ぬかもしれない」

残念ながら「死因」にはヒエラルキーがある。それは文化人類学的にも明らかで、未開の地でも古くから、老衰>病気>事故、というヒエラルキーが存在するという。
その順位は、遺されたものたちの心の準備の時間の長さ、衝撃の大きさに比例するのではないかと考えられる。
死のヒエラルキーとは、遺されたものにとってのヒエラルキーなのである。

実際には、死の種類によってその人の「生」の重みが変わるものではないのに。

TTのように死に近い危険なスポーツに挑むときですら、自分自身だけは死なない、自分の家族だけは、自分の友だちだけは、とみんな思っていると思う。

あるライダーはセニアTTのスタートレーンで天を仰ぎながら十字を切っていた。あとは神のみぞ知る。
カメラを構えつつも、このときばかりは平静な気持ちではいられなかった。つまりは、自分が悲しい思い、辛い思いをしたくないだけなのかもしれない。

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